ナチス政権下のUFOについて

樋口高志(ひぐちたかし)


書評──ヨーロッパのUFO

イロブラント・フォン・ルトビガー 著 桑原恭男 訳 ブイツーソリューション 2007年


 まずは著者のような、ドイツにおける責任ある航空技術関係者によって本書が作成されたことを素直に喜びたい。
 我々外国の一般人には入手不可能な、大戦中の当事者から得た貴重な証言も少なくない。とはいえ、この種の問題について10年以上関心を持ってきた者としては、単純に納得できない問題を含んでいる。つまり、ドイツ本国で、UFOに関心を持つ者にとって了解できても、国外の人間には、その歴史的プロセスがわからない、拙速すぎる結論がある、航空技術史的に納得できない内容も含まれる、等である。
 わが国でもホロコースト否定、歴史修正主義の極右運動とナチ円盤神話との関わりは周知の話題であるが、これらを切り離す努力や、厳密な立証主義を徹底させる必要がある。だが本書はそのあたりが不十分である。

 まず、問題のあるポイントを絞り、考察を加えていきたい。



 ドイツはU13と呼ばれる,正体不明の飛行物体を調査するための,特別委員会を設置していたとの噂がある.フランス人ジャーナリストのアンリ・デュラは,英国情報部からそれに関する機密解除文書を入手したと述べている.MUFON-CESのメンバー,アドルフ・シュナイダーは,シュトゥットガルトにある軍事研究機関,フライブルクにある 連邦軍事記録保管所に問い合わせたが確認できなかった.この特別委員会については,ドイツ空軍の元将軍ガラントやカムフーバも知らなかった.ノルウェー・北フィンランドの第5空軍司令官を務め,1945年2月から戦争が終わるまでジェット機の総括責任者であり,それ以前はハインケルHe162の開発責任者だったカール・フランケやドイツ空軍の総括技術者ボルフラム・アイゼンロールも,“U13”の話は記憶になかった.1976年6月まで中欧連合軍副司令官だったベーネルト将軍も,その機関のことを知らなかった(Schneider 1979).
 ロケット科学者で,シュレンベルク大佐の防諜部第4課の元顧問ロルフ・エンゲル(1930年代初期にベルリン,ライニケンドルフのロケットサイトで,筆者の父や,W.フォン・ブラウン,H.オーベルトと一緒に仕事をしていた)は,特別局U13の存在を知っていたが,その内容については知らなかった (Engel 1979).結局,戦時中防諜部長カナリス提督に協力したシュトゥットガルトのバルター教授が,特別局U13を設立したゲオルグ・カンパーを知っていた.バルター教授は,U13のメンバーが敵の新しい兵器,珍しい兵器の技術を調査していたことを認めた(Schneider 1979).
(p.47)


 英国フォーティアン・タイムズ編集員ケビン・マクルーアは、自らのサイト“THE NAZI UFO MYTHOS”(現在は閉鎖、今あるのはコピーサイト)で、アンディ・ロバーツなる人物が、「フーファイターの情報で、少なくとも一つは完全なでっち上げであることがわかっている。ナチスドイツがフーファイター現象を十分認識していて、この問題を調査するために、Sonderburo 13という正体不明のグループが支援するプロジェクトウラヌスという名の特殊機関を組織していた、という噂がずっと以前から飛び交っていた」「私はデュランとこの問題にあたったが、彼は、私に、“プロジェクトウラヌス”の話はまったくの作り話で、調べもせずにそれをコピーする人がいるだろうと思って、自分の本の中に入れたのだと話した。このでっち上げは、何年か前にフランスで明らかにされていたようである。しかし、英語圏のUFO研究者にそれが伝わらなかった」1)と書いている。

 ところが、ルトビガーの著書には、「シュレンベルク大佐の防諜4課の元顧問ロルフ・エンゲルが、特別局U13の存在を知っていた」とある。さらに「戦時中カナリス提督に協力したシュットガルトのバルター教授が、U13を設立したゲオルグ・カンパーを知っており、U13のメンバーが敵の新しい兵器、珍しい兵器の技術を調査していた」2)という。

 ウラヌス(U13)について、ケビン・マクルーアやアンディ・ロバーツの話が間違っている、ということはあり得るだろうか? 
 我が国ではUFO情報に対し、ただ懐疑的であることが理性的であるかのように見なされる状況が続いてきた。ケビンが英国政府で働いているからといって、即、隠蔽工作の陰謀論に転ずるのは安直かもしれない。しかし、多くの社会的権威によってUFO事件が潰された事例もある3a)
 逆に、U13はTV番組『第三の選択』のように、4月1日に冗談で作った物が、本物そっくりな事件を見出すきっかけになった、と捉えるべきかもしれない。

 航空洋書の広告によれば“On Special Missions: The Luftwaffe's Research and Experimental Squadrons 1923-1945”4)に、新型機の実験、試験や、敵機の調査を行っていたドイツ空軍部隊“Verschuchsverband”の情報があるという。バルター教授の話が正しければ、これが国防軍情報部(アプヴェール)のU13と関係していることになろう。

 アンリ・デュランの情報をコピーしたと思われるロベール・フレデリックの著書5)では、13局ウラヌスは、ドイツ国防軍情報部(アプヴェール)のカナリス提督が1944年に組織したことになっている。カナリスは、1944年にSSのワルター・シェレンベルク連隊長(大佐)に、ヒトラー暗殺に関与したかどで逮捕され、処刑されているので、U13が実在してもカナリスは非常に短期間に関わったことになる(シェレンベルクは、以後情報部を握り、軍で言う少将に昇格している)。

 情報工作についての民間の最高権威、ラディス・ファラゴーの著書6)によれば、国防情報部(アプヴェール)は1941年,フリッツ・カウトシュケ少佐とアルベルト・カルベの指揮の元,ドイツの光学と電子工学の粋を集め、西部地中海の両側に広がるスペインからフランス領モロッコにいたる地域に並はずれて巨大な諜報観測網を作り、ジブラルタル海峡を監視していたという。この観測網が異常な現象を捉えられたとすれば、十分な観測記録が得られたであろうことが想像できる。

 ところでルトビガーの本に登場するバルター教授というのは、“シュツットガルトの”だけでは誰だかわからない。有名なヘルムート・ヴァルター教授なのだろうか。ブライアン・フォードの『V1号V2号』7)にはキールのヴァルター教授というのが登場する.だがキールとシュットガルトでは、日本では北海道と沖縄くらい離れている。またペーネミュンデのロケットスタッフにもヴァルター技師という人物がいて、ティール博士とともに空襲で死亡したとある8)。とにかくヴァルターという名前は多くて誰だかわからないのだ。

 混乱に輪をかけてややこしい人物が、「広島原爆はナチス製だった」とする、スペイン人スパイ、アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコである。カナリスの国防情報部では、彼はV312と登録されていた。第2次大戦下の諜報戦を描いたラディス・ファラゴーは、その大冊“THE GAME OF THE FOXES”9)で、ベラスコについて、貴重な情報は送ってくるが、おおげさなもの、まゆつばなものが含まれると評している。
 とはいえ、ベラスコはかつて我が国でもっとも信頼性の高かったテレビドキュメンタリー、NHKスペシャルに登場し、大戦下の対米諜報について裏付けのある資料と共に放送され、この番組は表彰されている10)
 しかし、それ以後は、主に番組制作ライターの高橋五郎がベラスコの情報を紹介、歴史修正主義(ホロコースト否定論)の宣伝と、ベラスコが諜報界で得た知識を織り交ぜた陰謀論の本が出版され続けている。なお、再放送されたNHKスペシャルの解説や矢追純一の本ではベラスコは1992年に死亡したことになっているが、高橋の本では近年2003年に死亡したことになっており、これは後者が正しいようである。
 高橋五郎の『広島原爆はナチス製だった』11)『超スパイベラスコ』12)によれば、ベラスコはワルター・シュレンベルクから1941年にドイツが原子爆弾を開発している話を聞かされた。原爆はペーネミュンデで製造され、そこではUFOも開発し、製造していた。原爆のエレメントはチェコスロバキアのボヘミヤ地方に移され、1942年に実験、大成功を納めた。実験グループの統括していたのはハベルムール氏で、当時最も革命的な軍事兵器の開発者で構成されたグループの統括責任者であった。完成した原爆はベルギーのリエハ(リエージュ)に送られ、ゾンデルビュローと称される組織の爆撃機でロンドンに投下される予定だった。ハベルムール氏はソ連軍によってブレスラウのミテ工場に留置され、その後モスクワに送られ消息不明になっている…ということである。
 一笑に付すのは簡単であるが、シュレンベルクから情報を得ている点、ウラヌスの存在などはルトビガーのリポートと共通している、という点が気にかかる。
 しかし、ここで注意を払わねばならぬことは、ナチスにまつわるUFOの話題が、1970年代以降の歴史修正主義(ナチ・ガス室否定など)を標榜するカナダのネオナチ(エルンスト・ツンデル。収監中)の活動による宣伝が多くを占めていることである。またヴリル協会のハウニヴー円盤といった、戦車の大砲を逆さに付けた物も創作され、これらの写真も広く流通している、つまり、我々にとって必要なのは、社会的に信頼のおける資料をいかに集められるか、という問題なのである(もっとも、社会的信頼なるものの本質は、社会的強者、ということにもなりかねない。そこに多元的な視点を持ち込む必要がある)。



 ロケット科学者ロルフ・エンゲルは,もう1つのプロジェクトを記憶していた.ドイツ帝国空軍省の科学顧問オルトマン教授は,遠隔操作のミサイルで爆撃機の編隊を攻撃するアイデアを持っていた.それはミサイルを編隊付近で爆発させ,特殊な化学物質を放出するというものである.その物質がエンジンの酸素を消費し,エンジン停止に陥らせて,撃墜するのである.だがこれはうまく機能しなかった.その代わり,ミサイルが高々度で爆発すると,化学物質が原因で大気光が発生するという副次効果が見られた.
 1945年春,バイエルンのオーベルアンメルガウにある空軍研究センターでは,広範な電子装置の研究が行われていた.その中には,強力な電磁パルスにより30m以内の航空機エンジンの点火装置に影響を与える装置を無人機に搭載する研究もあった.将来的にはこの距離を3〜4倍に伸ばす予定だった.
(p.48)


 ルトビガーの紹介する未完の兵器開発は、以下の3つである。
1. 科学者ロルフ・エンゲルの、遠隔操作ミサイルに化学物質を充填し、敵爆撃編隊のエンジンを停止させる攻撃アイデア
2. オーベルアンメルガウの空軍研究センターでの電磁パルスによる航空エンジンの点火装置に影響を与える無人機の研究
3. ウィーナーノイシュタットの“ファイアーボール”

その引用文献としてイタリア人のレナト・ヴェスコの著書13)の名前が出てくる。“ファイヤーボール”の話だけならともかく、他の情報もヴェスコの引用だとすると、いささか心許ない。つまり、ヴェスコ本人の履歴や記録に、大きな信頼を置いていいものか不安が残る、ということである。ケビン・マクルーアは、ヴェスコが大戦中の軍の秘密研究者にしては、あまりに若すぎないか?と疑問をさしはさんでいる。
 ルトビガーは49ページの仮説で「おそらく連合軍の空軍は、ドイツ製のディスクと空中で遭遇したことはない」と書くが、レナト・ヴェスコはドイツの円盤兵器は実戦投入されていた事に肯定的である。彼は、大戦中に連合国戦闘機が遭遇した有名なフー・ファイターの正体を、オーストリアのヴィーナーノイシュタットで造られたファイヤーボール(フォイヤー・バル/火の玉)やクーゲルブリッツ(球電光)と想定しているのである。
 だが、ドイツのフーファイターの目撃例の中に、ドイツの兵器にまったく該当するものがない“数十センチの円盤群”が、シュヴァインフルト爆撃に際して現れたという話が、高名な航空史家のマーティン・ケイデンの著書に登場する14)
 またヴェスコの本には、ドイツ機が1機でB24爆撃部隊を全滅させたという、できすぎた話が登場する。
 落合信彦の著書によれば、「1945年3月に、翼や方向舵のない円形のドイツのロケット戦闘機が、アメリカ軍の爆撃機12機をヴルテンブルグ(南ドイツ)上空で撃墜したというものであり、その際、爆撃機の飛行路の前を高速で通過し、青い煙を数度発射した後に、数秒後、空飛ぶ砦と呼ばれるアメリカの爆撃機は次々爆発したという」15)
 いずれにせよ、この話が正しいとすると、ルトビガーの49ページの仮説「おそらく連合軍の空軍は、ドイツ製のディスクと空中で遭遇したことはない」とは異なり、ドイツの円盤兵器は実戦投入されていたことになる。落合信彦のナチス残党へのインタビューでは、“青い煙”の武器をエクスプローシヴ・ガスと呼んでいるが、レナト・ヴェスコの本にもその名前が出てくる(p.136)。ヴェスコは実戦投入したものと考えているのだろう。
 そして、内容こそ異なるが、ドイツの円盤型航空機が実戦に投入されていた可能性を示唆する情報がFBIの公文書にも見られる。

 1957年11月7日の、FBI長官宛のテレタイプには、戦時中、ベルリンとポーランドの間にある収容所の壁の向こうから飛び立つ際、トラクターのエンジンを停止させるというEM効果を思わせる、直径75ヤード前後の巨大な飛行物体が描写されている。円盤の大きさは、収容所の名前が記載された別の詳細な情報源の資料によれば、75ヤードではなく75フィート前後ということのようである。
 また別のFBI公文書の中にはV7の名がある16)とも言われるが、私は確認していない。ただ文中における10番目の陸軍研究所というのは、ペーネミュンデにおける陸軍兵器局兵器実験部第10課と呼ばれる液体推進剤ロケットを実験するセクション17)を指しているようにも思える。とすれば時速2000kmというスピードの円盤実験も、あながち不可能ではない(V2はより高速である)。



 ドイツには,フライングディスク,いわゆるミラクル兵器に関する秘密のプロジェクトがあった.そのプロジェクトの1つは1941年に立ち上げられた.このプロジェクトは,アンドレアス・エップの開発コンセプトに従い,ドイツ人技術者ルドルフ・シュリーファーとオットー・ハーベルモールが開発に携わった.直径8mあるこのディスクは,動翼として作用した.1943年にプラハ近くのスコダ・レトウの工場で開発が始まった.これは急速に垂直上昇し,高々度を飛行して爆撃機と交戦するというものである.このディスクは,報復兵器(Vergeltungs-Waffe)V-3と呼ばれた.
 もう1つのプロジェクトは,12個のBMW028型タービンエンジンを搭載した直径42mのディスクに関するものである.このプロジェクトは, プラハのチェコ・モラバ社と,ドレスデン・ブレスラウのリカルト・ミーテ博士,イタリア人エンジニア,ベロンゾによって進められた.この航空機は航続距離が長く,最終的にはニューヨークまで飛行可能となるはずだった.これは,報復兵器V-7と命名された.ハーベルモール・シュリーファーの基本モデルは,調節可能な12のローターブレードで構成される平らな回転リングと半球形のコクピットで構成されていた.
 1944年3月14日6:30時,ハーベルモール・シュリーファーのディスク試作機のテスト飛行が始まった.テストパイロットのヨアヒム・ローリケは,このディスクで1分で高度800mに到達した.この航空機は,超音速ヘリコプターである.この機体は水平飛行で2,200km/hの最終速度に到達した(Betzl 1991).
 最初のテスト飛行で,約20,000mの高度に到達し,2度目には24,000mに到達した.  V-7のジェットは,約2,800klbの推力を出した.V-7は,傾斜台から発射される.このディスクはペーネミュンデでテストされていた.そこでは,報復兵器V-1,V-2もテストされていた(Coppetti 1979).
 1944年の終わりに,ミーテとベロンゾは,爆撃機の下部にV-7ディスクの試作機を取り付け,スピッツベルゲン島に飛行させた.そこからドイツまで遠隔操作で戻ってくるはずだった.しかし,エンジンの操舵部分の故障が原因で,ディスクはスピッツベルゲンに墜落した(Betzl 1991).
 敗戦までに製造できたV-3型フライングディスクは3機だけである.そのうち2機はドイツ軍が自ら破壊し,1機と設計技術者たちがソ連陸軍に鹵獲,拿捕された(Lusar 1962).
 追加の装置が装着されたためフライングディスクは重くなり,着陸の制御が困難になった(これは,現在もフライングディスクの実用化が困難な大きな原因の1つである).
 おそらく連合軍の空軍は,ドイツ製のディスクと空中で遭遇したことはない.だからドイツ製のディスクは,目撃されたフーファイターではない.
(p.48〜49)


 記述されている動力源がジェットエンジンである以上、ネオナチのファンタジックな幻想を支えるようなミラクル兵器という表現を軽々しく使うべきではないだろう。
 これらの記述も、ナチス政権下で開発された円盤型飛翔体についての研究が、いまだ成熟していない状況にあることをよく表している。まず、ルドルフ・シュリーファー(シュリーバー)の円盤の開発プロジェクトはアンドレアス・エップの開発コンセプトに従い、1941年に始まったと書かれているが、インターネット上では、エップの開発コンセプトを盗んだものだという主張がよく見られる。エップは1936年に着想し、実験していたがそのアイデアがシュリーバーに盗まれたというのだ。エップによれば、戦争に反対したために計画からはずされ、自殺をはかったというのである18)。そうなると1939年にはエップの計画があったようにも思われる。
 エップが亡くなる前のインタビューがGoogleビデオにアップされている19)が、外国人の私には図面以外の部分はよくわからない。研究はまずエップが行ったことを詳細に検討することから始めるべきだろう。
 シュリーバーの円盤はドイツ空軍の記録にはないが、1950年代に発表された有名な新聞図面の円盤を見ても、これが戦局打開の決定打になるようなものとは、とうてい思えない。
 シュリーバーの円盤がハインケルによるものか、BMWによるものか、スコダによるものかもはっきりしていない。ただ、プラハ近郊にBMWの大きな航空工場がないことはわかっている20)。またシュリーバー自身も、自らの大型の円盤が飛行した事実はないと主張したそうである21)
 ルトビガーのいうスコダ・レトウの工場というのが何処かわからないが、一般的に重工業のスコダの拠点はプルゼニュであり、スコダ・カウバの航空機工場もチャコビツェという場所だという。
 ヘンリー・スティーブンスのサイトでは、アンドレアス・エップの情報として、“ドレスデン・ブレスラウ・およびLetow/Plag”とあり、多分、エップ氏の資料がLetov(レトフ)を誤記した原典資料なのだろう。またこの資料には、1944年に超音速円盤の実験(V-3とは書いていない)があったとしている。
 レトウとは、ハインケルHe177爆撃機などを開発していたプラハ・レトナニの“レトフ Letov”工場ではないだろうか?。レトフの工場はソ連軍に占拠されている。
 チェコのプラハをグーグルマップで確認すると、プラハ市街北東部には、ハインケル爆撃機製造のレトフ、スコダの航空部門チャコビツェ、小型円盤の滑空が目撃されたクベリーの3ヵ所が集中しており、円盤製造の基本地帯と考えられる。
 ハーベルモール(ベラスコのいうハベルムール)の名前については、ロバート・デール・アーンドットのサイトではクラウス・・オットー・ハーバーモールとなっている。ティム・マシューズの本にある引用によると、ハーバーモールが『放射状フロー』の排気口を開発していたと伝えられ、それが戦後カナダのアブロ円盤計画で実験されている構造と似ている、という。しかし、そうなるとハーバーモールの円盤とは、アブロの計画のように内部にタービンを持つ甲殻スタイルになるのではあるまいか?
 また、一般的にはシュリーバーが開発の中心人物のように取り上げられるが、ジャスト・ミランダとパウラ・メルカドの著書では、円盤製作メンバーの工学の資格は、ミーテとハーバーモールがドクター(博士)、イタリア人のギュゼッペ・ベロンツォと、ルドルフ・シュリーファーが工学ディプロムとされており、資格としてはミーテとハーベルモールの方が上ということになる22)
(この2人の書籍は既出の図面を自己流にアレンジしたもので、大半がもっともらしい羽根車で構成されたジェットエンジン装備ののオートジャイロとなっており、垂直離着陸はできない)。
 再録された『Flugzeug(フルクツォイク)』誌の1987年4/5月の2号に掲載されたハンス・ユースタス・メイヤー(Hans Jusstus Meier)のリポートは、懐疑派のケビン・マクルーアも一目置いており、1943年の8月か9月に、プラハ近郊のクベリー(現在は空軍基地)のC14飛行場での直径5〜6mの円盤が高度1mで、距離300m飛行した報告は目撃者が多数おり、信憑性が高い。この記録からすると確かに新型のオートジャイロのようである。
 安定した飛行が継続していた所からして、戦後のアブロ・カーVZ-9より優れているように思える。
 これがシュリーバーの円盤にあたるのか、そうでないのかは判断しにくい。しかし、おおよそ、開発中の円盤とは、この程度の物ではなかったのではなかろうか。
 ルトビガーはシュリーファー・ハーベルモールの円盤を、報復兵器V-3と呼ばれたというが、一般的なドイツの軍事史では、報復兵器V-3はムカデ砲(ホッホドルックプンペ)と呼ばれた長距離砲のことである。この長距離砲はフランスのカレーに建設されたが、その規模の壮大さに比肩する大砲はない。迎撃ミサイルであるHs117シュメッターリンク対空ミサイルが報復兵器V-3であるとする資料もあるが、いささか根拠が弱い。ちなみにレナト・ヴェスコの本でもそうなっている。
 ルトビガーは、Lusarの1962年の本を引用して、V-3型フライングディスクが3機製造されたと書いているが、Lusarを引用した他の多くの本に、まったくV-3の名前が出てこないのは気にかかる。
 “直径42mのディスク”については簡単な図面が公開されており、リヒャルト・ミーテの円盤と呼ばれている(ウォルター・ミーテとなっている本もある)。
 プラハのチェコ・モラバ社とドレスデン・ブレスラウについて、前者はありそうな名前であるが確認していない。後者に至っては二つの町の名前がセットになっているだけなので、社名としては奇妙である。CIA公文書1953 8/18 00-w-27452にはブレスラウのミーテ工場として登場する。
 デビッド・マスターズの本やW.A.ハービンソン(コリン・ウィルソン)の本では、“上下対称型の円盤の図面”がミーテの円盤として誤って載せられている、とドイツ円盤の実証的な研究家、マウリツィオ・ベルーガはサイト上で主張している23)。  ミーテの円盤は大きな皿を逆さにしたような上部に、小さな皿で下側を塞いだような形をしており、下面の直径の小さい皿部分との間にずらりと12基のタービンエンジンが並んでおり、航空デザインとしてはナンセンスだが、戦後のアブロ円盤計画のプロジェクトYに類似し、多数のエンジンを操作するものと思われる。
 ルトビガーはBMW028エンジンを搭載と書いているが、これはBMW018エンジンの誤りであろう。
“UFOs AT CLOSES SIGHT”24)のサイトで、“フランスのUFO界では1956年に『V-7型円盤』が公表され、チャールズ・ガロウという人物がそのエンジンを「BMW028ターボジェット」と書いた”のが流布したようである。
 028エンジンは二重反転ローター付のターボプロップエンジンであり、そのようなプロペラは邪魔になるし、図面には描かれていない。BMW018は搭載実験前に空襲などで破壊されたとされているが、両者ともに大体の図面は残っている。しかし大きさについては航空専門書でもまちまちである。
 ジャスト・ミランダは“上下対称型の円盤の図面”を直径24mとし、中央矩形の部分にBMW018エンジンを書き込んで、“BMWフリューゲラート3”と名付けた。一方、ビル・ローズは、V-7に続く“ハインケル−BMW V-8”と名付けている25)。こうした、命名はほとんど勝手な世界である。
“上下対称型の円盤の図面”の最初の出所は不明ながら、これもBMW018エンジンを搭載するとすれば、42mの円盤とともに、ミーテと関連するものかもしれない。
 マウリツィオ・ベルーガのサイトにはイタリア人、ジョゼッペ・ベロンツォ技師の、円盤形飛行爆弾の図面がある、FBI公文書1967 6/8 No62-0-11328の中にも同じ様な構造の無線操縦式の回転式飛行円盤が登場し、B-26爆撃機を撃墜するのに向いているという。構造からして急速に垂直上昇し、航空機にぶつけるのだろう。
 ケビン・マクルーアもベロンツォの経歴だけは裏が取れた、としている。


 ヨアヒム・ローリケが操縦するハーベルモール・シュリーファーの超音速ヘリコプターの話は何ら説得力がない。というか航空機研究の常識から著しくはずれたものであり、受け入れがたい。
ドイツ円盤でもビクトル・シャウベルガーの「私のアイデアをハインケルが盗作しジェットエンジンをつくった」という主張と同様である。CIA公文書(前掲)にある、戦後のゲオルク・クレインのナチ円盤の飛行談や、ビクトル・シャウベルガーの直径50mの円盤の飛行と同じく、立証性に乏しい。
 これらが正しいとするなら、主張だけではなく、定説、一般論を打ち破る覚悟が必要である。
 現在でも特殊な実験用のヘリコプターで限界スピードは400km/hrであり、それを超えた運用を実現するために米軍のV-22のようなティルトローター機(方向転換型プロペラ機)が開発されているのだという26)。ナチス政権ではフォッケ・アハゲリス社で同様のティルト・ローターのものが設計されていた。それでも音速を超えるプロペラ航空機は、実用化されていない(ダイブ時の音速突破の記録はあるという)。
 我が国では、ナチスの円盤の話を真面目に話すことが、航空ファンには恥ずかしいことであるが、ジャスト・ミランダの本にあるような、円盤型オートジャイロが音速を超えるという話を聞いたのか、航空マニア向けの掲示板で『オートジャイロは音速を超えられるのか?』という変わった質問があった。答えは翼端の関係などで無理という話であった。
 ではシュリーバーの円盤のように翼端をリングでつないだらどうであろうか? それでも無理であろう。
 ドイツの航空技術者は、巨大な超音速風洞施設を持っており、音速は軽く突破できるだろうと侮っていた節がある。マッハ2.6の飛行を想定したロケット実験機DFS346は、戦後、ソ連で“346"として実験されたが、音速を突破したものの操縦が効かなかった。リピッシュ博士も、提案していた三角翼機で、時速1万キロを想定していたが、彼が設計したものが音速を超えたわけではない。
 ロケットを使って固定型の円盤を加速させる発想は現在も続いており、ジョン・ブルーマーらは、米国の民間の宇宙旅行コンテスト、Xプライズで、円盤形ウェイブライダーを提案した。私は科学技術者ではないので、円盤が極超音速を超えるのに適当かはわからない。わが国の航空雑誌のライターも、これに首をかしげていた。

「V-7は傾斜台から発射される」。これこそ、シュリーバー・ハーベルモールらの円盤なのではないか、と思われる。ナチ円盤の図面では、V-1ロケットのような筒が出ているが、、V-1ロケットは傾斜台から発射される。この筒がV-1のアルグス・パルスジェットエンジンだと仮定すると、空中から発射するかカタパルトで滑走させる必要がある。
 矢追純一の本ではヘンリー・スティーブンスはヴァルターロケットエンジンをアルグスエンジンに代わって使ったというが、あたらずとも遠からず、と思える話である。

「1944年ミーテとベロンゾは爆撃機の下部にV-7ディスクの試作機を取り付けスピッツベルゲン島に飛行させた」という話が、日本では、矢追純一の本にある“42mの円盤がグリーンランドに飛行して墜落した”という奇妙な話(アンドレアス・エップへのインタビュー)27)に転化したものと思われる.
 一方でこれは、スピッツベルゲン墜落事件とナチ円盤との関連を示しているようにも見えるが、スピッツベルゲン事件そのものを否定する書籍もある28)

「おそらく連合軍の空軍は、ドイツ製のディスクと空中で遭遇したことはない。だからドイツ製のディスクはフーファイターではない」というのはヴェスコの本と矛盾することは先に記した。最も矛盾するのは、ヘルマン・オーベルト博士のインタビュー記事である29)。これは、 日本では古くは平野威馬雄氏の著書30)に収録され、新しくはティモシー・グッドの著書31)でも翻訳されている。
 ヘルマン・オーベルト博士は「終戦間際に目撃されたUFOの多くはV-7やそれに似たプロジェクトによるものだとやや極端な主張をしている」32)
 オーベルトは1955年に「ソヴィエトはすでに、V-7に関する様々な図面のほか、モデルも一機入手している。また自国で数機のモデルも試作していて、一部のUFOはその手のモデルだったとも考えられる」33)としている。
 ここでオーベルトは、V-7ヘリコプターと呼んでいる。
 グッドは反論する形で英国航空学の権威、ビル・ガンストンの1996年8月25日付けの手紙を紹介している。

『ソヴィエトでV-7のようなものがテストされた事実はないと思います』
 しかしおかしなことにガンストンは自著のロシア航空機の百科事典34)でMIL設計局の1959年開発のV-7ヘリコプターを紹介している。

 膨大な量のナチUFO関連情報のサイト『第三帝国の円盤飛行機』の作者ロバート・デール・アーンドットは、ジャスト・ミランダ図面にあるシュリーバーのBMWフリューゲラート(羽根車)は88mm高射砲の台座を利用できるが、V-7対空機雷では利用できない、と述べている(ジャスト・ミランダの円盤図面がすべて掲載されたサイト)。
 確かに直接88mm高射砲の台座に、ミランダの図面の物体は設置できないが、当時の対空兵器の多くが、88mm砲の台座(砲架)を改造して利用されているのは事実である。また、ミランダがV-7と関連付けたメッサーシュミット・エンツィアン対空ミサイルの誘導システムが『クーゲルブリッツ(球電光)』と呼ばれており、レナト・ヴェスコのいう大型の円盤の名前と一致している。
 どこかで名称が混乱しているか、複数の名称が併存しているのだろう。
 また、ミランダのシュリーバーの円盤は正確には描かれていないし、ミランダの描くV-7対空機雷の形状は胴体が、バケツのような形にドームがかぶさったシュリーバーの描写のオリジナルの形状に近く、そこからヘリコプターのローターブレードが八方に生えており、そのローター内のチューブを通して燃料を点火するラムジェット方式をとっている。これはヘルマン・オーベルト博士が語っていた内容と一致する。
 奇しくもロシアのV-7もローター・ラムジェット方式なのである。
 またヴィーナーノイシュタットがフリードリヒ・フォン・ドブルホフ博士によって1943年世界で初めてロータージェット方式のヘリコプターを飛行させていることも重要だろう。またこの年はシュリーバーの円盤研究開発の年でもある。
 ツェッペリンV-7“フォイエルバル(火の玉)”に、同形大型の“クーゲルブリッツ(球電光)”のそれぞれの対空機雷(フルークマイン)が実際造られたかどうかはともかく、構造的に類似するものがそれぞれの地で造られている事は興味深い。
 クーゲルブリッツの名前はレナト・ヴェスコの本に既出であるが、ドイツの非常に詳細で専門的な航空雑誌“Luftfahrt International”Nr.9,1975/5-6は、(シュリーバーの円盤の飛行について否定的な)参考文献のいくつかの項目に『V-7対空機雷』の名がある。1950年から75年までの間に、“V-7対空機雷”が話題として存在したのだろう。
   ジャスト・ミランダが描いたツェッペリンV-7のウクライナ製プラモデルの箱絵では、88ミリ砲の砲架にのせたV-7が描かれており、ずいぶん無理があるが、V-7がヘリコプター状で、対空機雷、飛行爆弾の類であったという情報としては、ジョゼッペ・ベルーツォのスケッチやFBI公文書(前掲)などがあり、末期のナチスドイツにおいて、有効かどうかはともかく、実戦投入された若干の可能性が残る。



 目撃者は,ベルリン防衛のために派遣された兵士だった.その日の朝は天気がよく,ドイツ兵は塹壕でロシア軍を待ち受けていた.誰かが叫んだ.「西から航空機が飛んできたぞ」.兵士たちはそちらの方を向いた.それは鉄色をした三角形の物体だった.国章,キャビン,窓,胴体部分がなかった.その物体は低高度を低速で東方に飛行した.兵士たちは,物体が上空を通過したときに風を切るような音を聞いた.音が聞こえたのはそのときだけだった.ドイツ軍将校の1人が叫んだ.「あれは総統のミラクル兵器だ」.(p.85)


 当時のホルテン兄弟やリピッシュ博士の作品など三角形の機体開発案はたくさんあるので、考慮する必要がある。米本土に原爆を投下するためのホルテンの爆撃機は製造中であった。このとき目撃された三角形UFOは、実験機だった可能性がある。そういう意味では本当に『あれは総統のミラクル兵器だ!』とする叫びはある意味正しかったかもしれない。参考となるサイトとしては“Luft46”がベストであろう。




参考
1. Durrant, Henry., La Live Noir des Soucoupes Volantes, pp.83-86, Laffant, 1970. 著者英語読み,ヘンリー・デュラント,仏語読み,アンリ・デュラン.
2. Schneider, Adolf, "Unbekannte Flugobjekte vor 1947 unter besonderer Berucksichtigung der Sichtungen wahrend des zweiten Weltkrieges", MUFON-CES Report No.6, 1979.
3. たとえば1986年の日航機のUFO遭遇事件。相当異常な事件であるにも関わらず、フィリップ・クラスの「天体の誤認」という説明で、新聞紙上で幕引きが行われた。政治学教授のマイケル・バーカン著『現代アメリカの陰謀論』(三交社,2004年)のように、米政府が関係するUFOの話がナチUFO等と一括りにされ、検証もされずに妄想として片付けられてしまうこともある。
4. Smith, J. Richard, On Special Missions: The Luftwaffe's Research and Experimental Squadrons 1923-1945, Classic Publications, 2004.
5. Frederick, Robert, A La Recherche Des Extra-Terrestres, Bordas Poche, 1973.(『UFO追跡』原宏郎訳,大陸書房,1974年)
6. ラディスラス・ファラゴー『ザ・スパイ』下巻,中山善之訳,サンケイ出版社,1973年,p.241.
7. ブライアン・フォード『V1号V2号―恐怖のドイツ秘密兵器』渡辺修訳,サンケイ出版社,1972年.
8. 野木恵一『報復兵器V2』朝日ソノラマ,1983年,p.251.
9. Farago,Ladislas, The game of the foxes: The untold story of German espionage in the United ラディスラス・ファラゴー『ザ・スパイ』下巻,中山善之訳,サンケイ出版社,1973年.
10. NHK特集「私は日本のスパイだった〜秘密諜報員ベラスコ〜」(50分)1982年(昭和57年)9月20日放送。1982年文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞受賞、第15回テレビ大賞優秀番組賞、第22回日本テレビ技術賞受賞。NHK特集名作100選に選出。
11. 高橋五郎『広島原爆はナチス製だった』スコラ,1986年.
12. 高橋五郎『ミカドの国を愛した超スパイベラスコ―今世紀最大の“生証人”が歴史の常識を覆す!! 』徳間書店,1994年.
13. Vesco, R., Intercettateli senza sparare, Mursia Editore, 1974.
14. マーチン・ケイディン『空の上の超常現象 ―パイロットたちを襲った真実の体験』野田昌宏訳,PHP研究所,1994年.マクルーアのサイト“THE NAZI UFO MYTHOS”にも掲載。
15. 落合信彦『20世紀最後の真実』集英社,1980年,p.199.、「12機の爆撃機」と書かれているが、原著では機数は書かれていない。
16. 並木伸一郎『死神ヒトラー1999年の大降臨―ノストラダムス、戦慄の黙示録』広済堂,1992年.p.124.
17. 『報復兵器V2』p.118.
18. 矢追純一『ナチスがUFOを造っていた』雄鶏社,1994年,p.143.
19. アンドレアス・エップとシャウベルガーのインタビュー。
  http://video.google.com/videoplay?docid=7919487068674224908
20. Rajlich, Jiri, Kokosa, Stanislav, LUFTWAFFEOVERCZECH TERRITORY 1945, Japo, 2001,P.39. 以下チェコ開発拠点詳細はすべて同書.
21. Matthews, Tim, UFO SecretHistory, Paranet, 1998.
22. Miranda, J., Mercado, P., FLUGZEUG Profile Deutsche Kreisflugelflugzeug, 出版年無記名(1998年以前),p.8.
23. マウィリツィオ・ベルーガのサイト。基本研究上重要。
24. UFOs AT CLOSES SIGHT
25. Rose, Bill, Buttler, Tony, Secret Projects: Flying Saucer Aircraft, Midland, 2007. 26. 『軍事研究』2007年10月号.
27.『ナチスがUFOを造っていた』p.144.
28. ピーター・ブルックスミス『政府ファイルUFO事件』大倉順二訳,並木書房,1998年.
29. Flying Saucer Review, Vol.1, No.2,May-June, 1955. オーベルトとV-7に関するページ(フランス語)
30. 『これが空飛ぶ円盤だ!』平野威馬雄編,高文社,1960年.
31. ティモシー・グッド『エイリアン・ベース』斉藤隆央訳,人類文化社,1998年.
32. 『エイリアン・ベース』p.32.
33. 『エイリアン・ベース』p.65.
34. Gunston, Bill,THEOSPREY ENCYCLOPEDIA OF RUSSIAN AIRCRAFT 1875-1995, Osprey, 1995.


関連ページ
Luftwaffe 1946
Luft '46 - WWII German aircraft projects
Lippisch Nurflugels (The Nurflugel Page)
The Miethe-Belluzzo Project (Stevens - Hitler's Flying Saucers - A Guide to German Flying Discs of the Second World War )

 


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